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オリオン☆ヒーリングアカデミー:愛と光と癒しの呼吸法「ライトブリージング」

すべては光、すべては愛、すべてはひとつ
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ライトブリージング 【 体験談 】


41歳・女性
2回目のセッションを受けた後、私は3人目の子供を妊娠しました。3年前に子宮外妊娠で亡くした命が、再び私の体に宿ったことを神に感謝しました。ところが、この妊娠により私の体調は悪くなり、仕事や家事も思うようにできない状態で、胎教どころか、この妊娠の継続は無理だと感じるようになっていました。
 妊娠5ヶ月でつわりが軽くなった頃、夫と医師の勧めで羊水検査を受けました。検査後5日目に腹痛と高熱があり、救急車で入院しました。病名は、羊水検査が原因の子宮内感染症でした。産むために行ったはずの検査でまさかこんなことが起こるなんて、夢にも思っていませんでした。医師の「赤ちゃんはだいじょうぶです」の言葉とは裏腹に、入院して3日目の夕方、胎児の死を告げられました。赤ちゃんの死による深い悲しみと同時に、何のためこんな苦しい思いまでして私の身体を選んでくれた魂なのか、この体験にはどんなメッセージがあるのか、全てが知りたく、自分なりに考えた答えは「許し」だと思っておりました。そんなある日、3回目のセッションを受けてみようと思いました。
 早めの口呼吸の後、「感情をだしていいんだよ」という先生の優しい言葉をきっかけに、ただただ30分間号泣しました。
「何でこうなった!くやしかった!悲しかった!」
 全ての感情を吐き出し、手放したとき、やすらかな感情が芽生えました。次に光が現われ、その光からメッセージが聞こえてきました。「お母さんを助けるために、僕はやってきたんだよ」
 光を感じる時、愛を感じる時、常に一緒にいてくれること、決して一人じゃないということ、彼が愛と光を教えるために私を選んできたことを理解しました。ひとすじの涙が頬を伝い、私の悲しみはみるみる溶けて消えていきました。
 潜在意識のレベルで私の準備が整ったとき、私と赤ちゃんの合意のもとで、この体験がおこなわれるようにすでに決まっていた。だから、妊娠中の想いも、病院での事故も、全ては偶然ではなく、起こるべくして起こったことだった。だれも恨む必要もないし、私自身をも責める必要も無い。私と赤ちゃんにとって、このレッスンは避けては通れない修業だったのだ。肉体レベルでは、見も心もボロボロになった。でも、今は光を、愛を感じることができる。いつも光はここにある。光は私と共にいる。あなたを想うとき、そう感じる。本当に苦しかったけど、すばらしい体験をありがとう。

 

50歳・ 男性
呼吸を意識してしばらくすると、腹部の振動が喉元に伝わる。そして腹部から吐き出す感じで「ウォー」と数回声を発する。
「何か喚きそうな感じだな」と、少し不安になる。次に、「ララララリン、ララララリン」と歌い出しているではないか。「ラララリー、ラララリー」と、数回繰り返す。何か唱えているようにも聞こえる。自分の声ながら神聖な気がしてくる。そして、言葉が途切れ途切れに発せられていく。「わ・た・し・は・す・べ・て・だ」を繰り返す。「何を大それたこと、言い出すんだ」という思いや意識は次第にその声に統合され、あるがままの状態になっている。「子供達、年寄り、病人、弱い人、みんな好き」を繰り返す。
言葉を発しながら、涙がこみ上げてくる。「みんな一つなんだよ」と、何回も繰り返す。プラクティショナーの「みんな一つなんだね」の応答に、「ありがとう」と「感謝」と「すべてはひとつ」の念から、その喜びを表す。
 今回でのブレスでの導きは、「子より与えられた気づきから、聖なる旅路・真理の悟り、人生の誕生日」だと捉えている。


BlueWinds 中村英一郎
すっかり北海道は外を歩いていても、長かった寒いと感じる時はなくなり、少しずつ夏の暖かい空気が流れてくる頃、私は、帯広での某セミナーにおいてインナーチャイルドの療法をする先生がお見えになると聞いていました。最初、私は行くことは伝えてはいました。しかし、帯広は遠く、行くのは大変なので、行くのはやめようと思っていました。しかし、前日の夜になぜか急にやはり帯広に行こうと思い立ち、私は夜中、札幌から車を飛ばして帯広に向かいました。日勝峠を越して十勝平野に下りる頃、なぜか、何かが起こるような期待感というか安らぎのような感覚に捉われたのを覚えています。

 セミナーで、初めて今野眞佐子先生にお会いし、ブリージングの説明を聞きました。その中で出産時の体験はその子のお母さんも大変ですが、その子自身もとても強いストレスにさらされており、その時の体験がその人のトラウマになるということをお聞きしました。私はその話を聞いてとても心の中でひっかかる部分がありました。なぜなら、私は生まれた時に約2ヶ月早く生まれ、約2ヶ月間も保育器に入っていたからです。休息時間、今野先生にその事を尋ねると、ぜひセッションを受けたほうが良いと言われました。休息後のセミナーの内容に感動した私はその夜、今野先生の個人セッションを受けることになりました。
 私は前日からほとんど寝ておらず、セッションは大丈夫かなと思いました。また、ブリージングというものが、はたしてどのようなものなのかも説明を受けただけではわかりませんでしたし、多くの療法にありがちな無理に感情を出すような類いのものとも思っていました。

 ベットに仰向けに寝て先生の言うとおりに「ハァ、ハァ」と呼吸を繰り返しました。すると、少しずつ自分の体が震えだしました。寒くてブルブルと震えている感じです。そして、なぜか悲しい嗚咽のような声が自分の口から発せられてきました。また、涙が目じりから流れ落ちてきました。でも、自分の意識は普通だし意識してやっているわけではないのに、なんでこうなるのかとても不思議な感覚に捉われていました。セッションを受ける前、先生は「おそらくあなたは保育器の中のつらい体験が一番のネックになっています。また、保育器に入っていた人は孤独感が浮いてきて、寒くて震える人が多いです」とおっしゃっていました。だから、きっとこれは保育器の中に入っているときのものなのかなぁとわかりました。先生が「なにを出してもあなたは安全ですからね」のような事を言ったと思います。すると、私はものすごい大声で「うわ〜ん、うわ〜ん」と叫び始めました。大の男が普通の状態で意識してもこんなことは恥ずかしくて、できるはずはないのですが、なぜかでてくるのです。先生は胸元を一生懸命にさすってくれています。私は意識をその叫び声にフォーカスしてみました。すると、「なんで、だれも僕をあたたかい腕で抱いてくれないの。僕のママとパパはどこにいるの。どうしてだれもきてくれないの。とてもさむいよ〜。さみしいよ〜。くるしいよ〜」という感情が湧いてきました。私が生まれた当時はまだ、親の面会は許されたとしても、抱いたりスキンシップを取ることは許されていなかったらしいです。たしかに、生まれてすぐにあんな無味乾燥なケースの中に入れられ、しかも、2ヶ月間もその中に入れられていたとしたら、ほんとうに地獄のような体験だったのだろうなと思います。きっと、それがトラウマにならないわけがありません。私は思いっきり、大声でその時の感情を吐き出し続けました。自分の中にはこのつらい時の感情をずうっと抱え、今まで、生きてきたのだなぁと思うと、よくがんばってきたなぁという気持ちと、やっと救われたというような感覚が湧いてきました。そして、出し切った後に、はぁ〜と全身の力が抜けたようにぐったりとなりました。すると、先生は私を抱きしめ「ごめんね〜、ママはあなたが生まれてくることをとても楽しみにしていたのよ〜、ごめんね〜」ととてもやさしく言ってくれました。僕はまた「ママは悪くないよ〜」とえんえん泣きながら言っています。その時の私はそのしぐさから赤ちゃんに帰っていたと思います。もう一度、お母さんの愛情を再体験することができ、今まであった母親に対するなにか割り切れない感情がすうっとなくなったような感じがして、母親に対する感謝の気持ちがとても沸いてきました。セッションが終わった後なんともいえないすっきりした感じとこれが癒しなんだなあと実感することができました。
私の保育器の体験はたしかに辛い体験だったと思います。また、その時のつらい感情や恐怖を心の奥に閉じ込めたままだったので、喘息やその他のいろんな体験を私にもたらしたのだと思います。しかし、誰もがそうですが、そうなることを承知で私は生まれてきたと思います。今の私が臨床心理の道を選び今の自分のしていることから、それは必要不可欠な体験であったことが今になってようや理解しつつあります。

 ブリージングは自己の奥深くにしまわれているネガティブな感情を開放させ、そのカタルシスを得ることができるすばらしい療法だと思います。